Work / Mayumi Arai

金の卵たち

2017 写真、テキスト 20.5×27.4cm(写真サイズ)

 

清く澄みゆく 大空に
工場平和の 鐘がなる
織り成すたびに鳴り響く
希望明るい 我らたち
木村文化を作り上げ
力のかぎり 力のかぎり 働こう

-帯屋捨松(旧 木村捨織物所)社歌-

 

 

日本の昭和戦後期に「金の卵」と呼ばれた地方の中学・高校卒の者たち。都市部へ集団就職をし、高度経済成長期の幕開けから日本の製造業界・生産システムを支えてきた。

当時の捨松にも、多くの若い女性たちが、四国や丹波や丹後から織り手として働きに来ていたそうだ。捨松の社員数は、100人を優に超え、見せてもらった昭和30年(1955)の社員遠足の集合写真では、一人ずつがとても小さく、その表情を確認することが難しかった。

松栄ハイツは、1階が家族持ちの社員のための、2、3階は、若い女子社員のための寮だった。均等にならべられた複数の鉄の扉とその奥にある4畳半の部屋から、かつてそこに住んでいた女性たちの暮らしについて考える。「大変だったけど、皆いつも一緒ですごく楽しかった」と、北尾千代子さんは話した。北尾さんは、昭和28年(1953)に徳島から中学卒業後すぐに捨松に織り手として働きに来た一人だった。

元社員さんたちに話を聞き取りながら、捨松の「金の卵」たちについて知っていく。帯も重要な産業の一つとして機能していた時代。彼らから、強い誇りを感じた。

 

Golden Children

2017 photography, text   20.5×27.4cm (photography)

 

They started working for the factories in the large cities through the mass employment just after graduating from a junior high school or a senior high school in the countryside in the high growth period after the war in Japan. They were called “Golden Children” in these days. They supported the mass-production system in the rapid growth era in the post-war Japan.

The Sutematsu Obi factory was no exception.  At that period many young women came from Shikoku, Tango or Tanba areas as weavers. The number of employee of the Sutematsu was more than 100 people. On a Stutematsu group photo which was taken at an excursion, it was quite hard to recognize facial expression of each one because of so many faces. 

Shoei Dormitory is a 3-stair building. On the 1st floor Stutematsu employees who were married lived, and young single women employees lived on the 2nd and 3rd floor. Whenever I came inside of the dormitory on 2nd floor and 3rd floor, I stared to think about people who lived there in those days. 

“It was very hard, but delightful time, because everybody was always together”, said Chiyoko Kitao. She was one of the weavers, who came to Kyoto from Tokushima prefecture in Shikoku area just after graduating from a junior high school in 1953.  

While I met and heard the stories from the ex-employees of Sutematsu, I gradually got my knowledge about the Golden Children of those days. At that time Obi was also functioning as one of important industries in Japan.  I felt the strong pride exuded from their stories.  

 

展示「帯 vol.03 -松栄ハイツについて-」にて

2017. 4.10-13 /  Yuga Gallery (東京芸術大学絵画棟1階 / 〒110−8714 台東区上野公園12−8)

 

 

 

 

猫のおっさんになる 他

2016   映像  4min35sec

watch this video

 

 

猫のおっさんの記録

2013  映像  35min19sec

watch this video

 

 

 

 

町の片隅話収集屋

2015 映像インスタレーション  帯屋捨松本店内旧工場 / 京都

素材: 映像、写真、マウントに収まった35mmリバーサルフィルム、取材中にとったメモ、Tシャツ、ビーチサンダル、寝袋、金槌、メジャー、カッター、セロテープ、マスキングテープ、白手袋、チョーク、帯屋捨松旧工場内(展示会場)に置かれていた備品)

 

2012年の秋から京都・西陣に通い始め、変化し続ける風景の中で微かに残っている匂いを頼りに、カメラとレコーダーを背負ってくり返し彷徨い、様々な人と出会い、話を拾い集めていく。

200メートル四方ほどの区画・西陣京極に、60年代初頭まで6つも映画館があったそうだ。織り手や帯屋の社員たちが、仕事終わりに通ったらしい。「晩7時になったら、会社で出る夕飯をさっと食べて、よく新作邦画や旧作洋楽三本立てを見に行って、その後、喫茶マリヤにドロ〜っとしたぜんざいを食いに行きよったんや」と、元帯屋捨松社員の伊藤さんは話してくれた。それらの映画館は、今では全て駐車場や新築の個人宅、チェーンの大手スーパー、パチンコ店に姿を変えた。

「家に風呂を作る広さがあるならば、代わりに織り機を置け」。京都は全国的にみても銭湯が多い街として知られるが、中でも西陣地区は特に密度が高い。以前は、毎日銭湯に入りにいく出費よりも、織り機を一台置いて帯を織った方がずっと黒字になったようだ。2013年、西陣を訪れる度に通っていた銭湯が、古い加熱システムを変える資金がなく、その不具合のせいで火事になった。隣にあった帯屋は、商品や昔の図案がその煙でだめになった。時代の変化とともに、現在では帯屋だけではなく、多くの銭湯も閉じざるを得ない状況である。

ある特定の産業に関わる人たちが集まる土地。その人たちを支える別の生業の人たち。西陣の街全体は、そこで働いて生活してきた人が作った世界であり、彼らが見ている宇宙が現れている。その街を見つめることは、彼らを知ることであり、彼らの語りを聞くことは、その街に私が紛れこんでいくことである。

 

Town Stories Gleaner

2015 video installation   Obiya-Sutematsu old factory / Kyoto

material: video, photography, 35mm film, interview note, T-shirt, flip flops, sleeping bag, hammer,paper knife, scotch tape, tape measure, white gloves, blackboard, chalk, furniture belongs to Obiya-Stematsu old factory

 

I have started to visit Nishijin since 2012, in autumn. I got to know various people and collected many conversations and stories from them. I focus on the shadow of past things which have left a special atmosphere in some small recesses or in the head of people. But while this process is gazing into the past, I get back to the present.    This project engages with the fact of accepting things that are going to disappear.

*Obi is a sash for traditional Japanese dress, Kimono. Nishijin is a district in Kamigyō-ku, Kyoto, Japan, and (by extension) a traditional textile produced there, more narrowly referred to as Nishijin-ori (西陣織, Nishijin fabric).

 

 

 

 

 

 

一人、京都に残った平日のある日、本店裏の勝手口から静かに中に入る。営業を邪魔しないようにと、差し足で木造の古い京町家を進んで行く。よく晴れた春の日だが、床の冷えた温度が、靴下を通し身体に伝わってくる。2階へ向う階段の途中にある、斜め天井の部屋に入る。20畳ほどはあるのだろうが、物に溢れ非常に狭く感じる。天井は低く、背の低い私でもかかんで進むことしかできない。手前のあたりは多少最近の人の出入りを感じられるが、奥へ行くほど全ての物にうっすらと埃が溜まっている。  そこには、数台か手機が残されていた。中には胴体の大部分が解体され、木製の何なのか判断が難しい状態のものもある。一番手前の手機だけが、ちょうど帯を織り終えた後、地が巻き途中のままで止まっており、その地の上に小さな杼(※)が2つ残されている。  それをそっと持ち上げてみた。天井の小さな曇りガラスから射す微かな光が、糸の上に溜まった細かな埃に反射した。

(2013年6月25日・日記より抜粋)

※杼(ひ): シャトルとも呼ばれる。 織物を織るときに、経糸(たていと)の間に緯糸(よこいと)を通すのに使われる道具。

 

音景

2013 サウンド 5min 28sec

listen to this sound

 

 

聴こえていた風景 – いとへんの街 –

2013 映像 12min 55sec

watch this video

“いとへん”の町。

以前は、隣合わせに織り屋が立ち並び、そんな通りが集まって、地域全体が一日中織りの音を奏でていたらしい。その音は、まだ霧がかる朝から日がとうに暮れた夜まで引っ切り無しに流れ続け、ある人はその音を初めて聞いた朝、大雨が降ってきたのかと勘違いをして勢い良く窓をあけ、ある人はその音を子守唄に学校から早く帰ってきた昼間、縁側でうたた寝をしたらしい。

 

Mayumi Arai CV

 

 

Skills: 作品