帯研に見学者として訪れた人たちからのコメントや表現をここに載せていきます。

「帯屋捨松、2度目の訪問」
油画第二研究室修士1年 三枝愛

捨松さんにはじめて伺ったのは2014年の初夏だった。大学の古美術研究旅行の行程に組み込んでいただき、1時間程度の滞在だったと思う。それから2年経ち、ここの社員寮を拠点にプロジェクトを展開している研究室に所属することになったというわけだ。あの頃は想像もしなかったけれど、京都は文化的にとても恵まれた土地で、そこに暮らす人の手つきから、より多くのことを学びとりたいという思いが強まり、2016年8月より伏見の元酒蔵であるアトリエGURAにメンバー入り、2017年2月からは、なんと西陣に家を借りることとなった。暮らしの拠点を京都に移すということに伴って、本格的にこちらでの仕事を探そうとしている。家のある路地には蛇が祀られ、住人たちによって大切に守られている。そこから歩いて少し行ったところに、たぶん、帯屋捨松がある。今はまだわからないけれど、きっとたくさんのものづくりの現場がそこかしこにひっそりと存在し、日々手を動かしている人たちがいるのだろう。わたしはここにいて、何をするだろうか。職人になるわけではなく、いつまでも観光客のような振る舞いをしていたくはなく、しかし見回してもあまり貧しいものが見当たらない。貧しいもの…これまでわたしが関わってきたものは、とても貧しいものたちだった。より貧しいものの中に豊かさを見出すこと、もしくは、万人にとって文化的価値がないものであっても、個人の、特別な、唯一無二の存在であるようなもの、そうであるべきものを、ひょんなことから引き受けるというようなことが、わたしのやってきた主たる活動である。寮がなくなるということを聞いたが、もはやそこで働くほとんどすべての人にとってあまり大きな出来事ではないような、でも確かにひとつ時代が静かに動いていくような、そういう感覚があった。このことに出くわしたということに、例えばもう少し注意深く付き合ってみたとして、それが新しい出来事のはじまりとなるだろうか。(2017年1月15日)